「家族の風景」- ハナレグミ


彼女には夫がいた
幼い息子もいた
夫は真面目で優しく家族思いで
彼女にとっては理想的な夫だった
ただ一つだけ
一つだけ気にかかる事があった
夫はちょっと珍しいくらいの働き者で
昼も夜も関係無く仕事に出かけた
そのため家族と共に過ごす時間がとても短いのだった
仕事から帰ってきてご飯を食べながら
彼女とたわいのない話で笑い合ったり
友達とけんかしたという息子の話を聞いたり
束の間の家族団欒のひと時を過ごした後
再び仕事に出かけて行く
それがこの家族の日常だった

ある日
働きづめの夫の体調をいつも心配していた彼女は
その事を伝えると夫はそっと笑いながら
いつもちょっとしか一緒にいてやれなくてすまない
でも仕事の事もおれの体の事も
何も心配はいらない
おまえたちはおれが必ず守ってやる
おいボウズ
母さんの言う事をちゃんと聞くんだぞ

それと
友達と仲良くな
と言っては息子の頭をなでて
夕陽に染まった街の中へ消えて行くのだった
彼女も息子も寂しい気持ちをぐっとこらえて
せめて笑顔でその背中を見送るしかなかった

それでも
彼女も息子も
夫を父親を誇りに思っていた
何でもないような日々がこの上無い幸せだった

しかし
時の流れは変化をもたらした
気が付くといつの間にか
家族一緒にいるその短い時間が少しずつではあるが
さらに短くなってきているような気がしていた
さすがに彼女も気になり始めた
彼女は夫が何の仕事をしているのか知らなかった
あまり聞いた事も無かったし聞いたとしても
何も心配しなくていい
とそっと笑ってはぐらかされた

ある日
とうとう我慢ができなくなって
こっそり夫の後をつけた
一体どこでどんな仕事をしているんだろうか
それだけじゃない
思い返せば
わたしは夫の事をどれくらい知っているというのか
まさかとは思うが
いや
でも

モヤモヤした思いを拭い切れないまま歩き続けた末
彼女の目に飛び込んできたのは
目を疑うような光景だった

おかえり
おつかれさま
パパ〜
と言いながら笑顔で夫を出迎える女性と
娘と思しき幼い子供

眩暈がしてその場にへたり込んだ
あまりの衝撃に頭の中が真っ白になって
何も考えられず身動きもできず
しばらくの間呆然としていた

気が付くと夫は女性と子供に笑顔で見送られながら
再びどこへやらと向かおうとしていた
頭の中は相変わらず真っ白なままだったが
彼女の体は勝手に夫の後を追っていた

次にたどり着いた先には
また別の家族が待っていて
夫を温かく出迎え
しばらく後に
寂しさ混じりの笑顔で夫を見送った
彼女は真っ白な頭と重い足取りで
夫の後を追う事しかできなかった

夫はたまに道端でわずかばかりの仮眠をとりながら
別のそしてまた別の家族の待つ場所へと
帰っては出かけ
帰っては出かけを繰り返していた
どの家庭でも夫は笑顔で出迎えられ
笑顔で見送られていた
どの家族も
どの家族も
心から幸せそうだった

一体いくつの家族を回ったのか
どれくらいの時間が過ぎたのか
いくつもの
いくつもの
温かく柔らかな笑顔を見ているうちに
怒りと悲しみと混乱とで
めちゃくちゃに硬直していた彼女の心は
か弱い春の陽射しが固く締まった雪を照らすように
少しずつ
少しずつ
解きほぐされていった

彼女は食事をとることも睡眠をとることも忘れて
歩き疲れてフラフラになりながらも
先を行く夫が次に向かっているのが
自分と息子が待つ場所だという事に気付いた


その時

お〜いこんな所にいたのか
と言いながら夫に近付いてくる人があった
今までどこに行ってたんだよ全く
ずいぶん探したんだぞ
心配させやがってこの野郎
夫を両腕で抱きかかえて
ポロポロと大粒の涙をこぼしながらその人は言った
さあ家に帰ろう
みんな待ってるよ
今日は特別に美味しいキャットフードにしような


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このページは、くるっくるが2014年11月 3日 18:41に書いたブログ記事です。

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